Top News 父喜紹介 徒然父山 喜也草子 CD 冷岩-coolrock- X'mas ×X'mas 父喜苑 2006.08.20.


■素晴らしき現役おばあさんたち


ワタシは、ずっと、おばあちゃんっ子でした。
2年前の4月10日、103才で逝った知子おばあちゃん。
プリンを食べてから病院へ運ばれ、家族に愛されながらの幸せな大往生でした。

明治の終わりに埼玉の呉服染め物問屋に生まれ、長唄端唄・都々逸・踊りなどを稽古し、お姫様のように育てられ、
関東大震災の後、浅草の足袋屋に嫁ぎ、先の戦争*(大東亜戦争又は第二次世界大戦)では地獄のような隅田川周辺の猛火を逃げのび、
それからはずっと平和で楽しく暮らせたおばあちゃん・・・。
  (*京都で「先の戦争」と言えば、1467年の応仁の乱のことなのだそう!驚!)

知子おばあちゃんから教わったことは、【毎日いっぱい笑う】。


ふと思えば、ワタシはおばあさんが好きです。
自分のおばあちゃん以外にも、素敵なおばあさんとの縁が深いような気がしてなりません。
ずっと『表現活動をなさっている』あるいは『活動なさっていた』、今月は、そんな方々を紹介したいと思います。


 ●中村喜春さん(新橋芸者・作家/享年90才/2004.1月没)

 BBCに死亡記事が載る日本人は珍しいのだそうです。
 http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3373103.stm

 それほど米国では、アバンギャルドな芸者として作家として有名な方でした。
 亡くなられる数年前に、一度お会いしました。
 当時ワタシの活動していたバンド「喜也&バーミヤンズ」のドラムであるKINNちゃんが、
 浅草木馬亭で行われた『三味線でバンドとJAZZ』ライブへ連れて行ってくれたのです。
 ずっとニューヨーク在住でいらした喜春さん。
 KINNちゃんは米国放浪しているときに、随分とお世話になったそうです。
 ワタシの名前が「喜也」と知ると、にこ〜っと嬉しそうに「おんなじねぇ」と微笑んでくださいました。
 そしてそのときワタシも嬉しくて、「喜也」に「ナカムラ」とゆぅ名字をつけてあげました。(あまり使いませんけど)
 いま思い出しても、あのライブのコラボは『パンク精神』が大です。
 安らかに。。。


 ●岡部伊都子さん(随筆家/現在83才現役)

 喜也草子14号で取り上げた方です。
 http://papas-pleasure.com/soushi/soushi14.html

 戦争を"普通の人のことば"で、反対しておられます。
 仏像がお好きらしく、寺院巡りのご本も出されています。
 やさしくゆったりとしたことばで、こころが安らげます。


 ●朝崎郁恵さん(島唄歌手/現在71才現役)

 昨年、旭川〜北見へ旅に出た折、岩見沢在住のH氏に大変お世話になりました。
 H氏の車に乗り、北海道内を移動させていただいたのですが、そのときずっと朝崎郁恵さんのCDが流れていました。
 「北海道なのに、奄美の島唄って、なんで・・・?」
 と最初は疑問でしたが、1分後にはハマっていました。
 SUGIZO(元ルナシー)やゴンチチ、UAがCDに参加していたり、細野晴臣が絶賛する声と世界観は、素晴らしいと思いました。
 今年行われた下北沢でのライブに行けなくて、とても残念です。
 次回は絶対行きたいです!


 ●石井好子さん(シャンソン歌手/現在84才現役)

 戦後ジャズ歌手として進駐軍で唄い、その後フランスへ渡りシャンソン歌手になり、第1回「パリ祭」を開催された凄い方です。
 偶然TVで、その軌跡を放映しているのを見たのが最初でした。
 と、先週BSで「シャンソンの夕べ〜第44回パリ祭から〜」を、これも偶然見てしまいました。
 元すかんち、現派手派手ロッカーのROLLYが、まるで「チャリチョコ工場」のジョニー・デップもどきの衣装で、
 シャンソンを唄いながら司会をしていました。 なぜか異様にステキでした(^O^)
 山本リンダがセクシィにクネり唄い、前田美波里がさすがゴージャスに唄い上げ、菅原洋一がしみじみと囁き、戸川昌子は・・・怖かったです(^^;)
 石井好子さんは、出演していた数々の歌手の中で、誰より知的でエレガントで大人でした。
   (・・・ステージ上の年齢層は、たぶん平均60才代でしたが・・・。)


 ●朝霧鏡子さん(女優/享年78才/1999.5月没)

 戦前から松竹映画で活躍し、エノケンと並ぶ喜劇王シミキンこと清水金一と結婚し家庭に入り、おばあさんになってから映画へ復帰された方です。
 映画「午後の遺言状」(1995年)で復帰後、市川準監督の「東京夜曲」(1997年)、室井滋主演・井筒和幸監督の「のど自慢」(1999年)が
 遺作となってしまいました。

 まだ復帰する前に、朝霧鏡子さんは、新宿さくらやの裏手で美味しいカレーのお店を経営していました。(現在も甥っ子さんが営業なさっています)
 ワタシの叔父が、戦争前後に映画の録音・音響をやっていた為に朝霧さんと仲が良く、昔いつも連れて行ってもらっていました。
 調理は人にまかせて、いつも彼女は訪れる昔の映画関係者に囲まれて笑っていました。
 スパイスの香り漂う店内で、お化粧も服装も身ぎれいにして、背筋もいつだってシャンとして。
 そして、一度だけワタシの耳に聞こえてしまいました。
 「いいホン(脚本)があれば、いつだってやりたいのよ。」

 「午後の遺言状」是非観てみてください。



            ・・・・・・
            彼女たちに一致するのは、

            やりつづけること。やりたいと願うこと。

            昔を懐かしんで凝り固まっているのではなく、いつでも歩んでいること。


            ・・・・・・
            そして、彼女たちから学んだことは、

            【 芸は楽しい・芸を楽しく 】

            これに尽きると思わずにはいられません。
            誰かが楽しんでくだされば、それは表現者の楽しみにもなるのですから。


おばあさんになるまで、まだまだ(×2)先は長いですが、日々前を向いて向日葵(ひまわり)のようでありたいと思います。